事件・事故

「秋葉原連続通り魔事件」の犯人(加藤智大)の弟は自殺していた。「兄に会いたかった」

2008年6月8日、秋葉原の交差点に2トントラックで赤信号を無視して突入し、歩行者5人をはねとばし、車を降りた加藤は 、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら17人を、所持していたダガーで立て続けに殺傷した。

記憶に新しいこの凄惨な事件の加害者家族に降りかかった世間の目。
弟「優次」は何故自殺したのか、、

優次は、自身を「犯罪者家族」にした兄に、会うことを望んだ。事件以来、拘置所に手紙を送り続け、その数は50通をゆうに超えた。だが一度として返事が来たことはなかった。
兄に会うために拘置所を訪れる優次に、私は何度か付き添った。初めて出向いたときは、押し寄せる緊張で、彼は拘置所の前で嘔吐した。面会受付を済ませ、窓口で「加藤さん」と呼ばれると、面会が決まったわけでもないのに、身体の震えが止まらなくなった。
「自分は兄とは違う。直接会って、それを確認したいんです」
だが、優次は最後まで、兄に会えなかった。加藤は家族を拒否していた。面会どころか、差し入れすら拒否された。

実は死の少し前にも、優次は拘置所を訪ねている。
「今度こそ会えると思ったのに。一度でいいから会いたかった」
優次が私にそう明かしたのは、死の1週間前、2月上旬に会った時だった。私に会う前にも、自殺を図って失敗したのだという。選んだ手段は餓死だった。
「餓死って難しいですね。10日目に水を飲んでしまった。なぜ餓死か? いちばん苦しそうだから。やっぱり、加害者は苦しまなければいけない。楽に死んではいけないんです。
唯一心配なのは、母親です。事件発生時の母は病的に取り乱していて、思い出すといまだにザワザワします。その母親が僕の死を知ったらどうなるのか……」
こう言って力なく笑う優次の覚悟は、この時もう、完全に固まっていた。
事件が少しずつ風化していく一方で、被害者家族だけではなく、加害者家族の苦しみも続く。加害者とともに罪を背負わなければという思いと、「こんなはずじゃなかった」という思い。
その二つの狭間で揺れ続けた繊細な男は、苦悩の時間をみずから終わらせることを選んだ。目を背けてはならない、事件のもう一つの側面がここにある。

「週刊現代」2014年4月26日号より